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 夢のあと

激流の時代を生きた家族の壮大な物語〜夢のあとに残された者たちへのメッセージ, 2008/7/1

冒頭から引き込まれ、一気に読み終えた。激流の時代を生きた家族の壮大な物語。苦さも甘さもひっくるめ、滋味あふれる料理を食べ終えたような満足感に浸っている。  角五郎、恵美、花、淳、由美、沙代……1人1人の人物がとても魅力的。驕慢な花や意地悪な香奈も、単純な善悪で裁断することなく、個性的で人間らしい女性としていきいきと描かれ、著者のあたたかいまなざしが感じられる。  それにしても、角五郎が理想を掲げて築き上げた社会、家庭が、戦争によってズタズタに切り裂かれ、瓦解していく様は、何ともむごく痛ましく、愚かな戦争に対する著者の強い憤りが伝わってくる。日本の近代とは一体何だったのか?と著者は鋭く問いかける。   家族が次々と死んでいき、残されたのは由美と俊、吾郎の一家だけになってしまうのだが、しかし、このような時代にも美しく生きた人々の思いは、残された人々にきっと受け継がれていく……そんな希望をも感じさせてくれる。これが、著者が一番訴えたかったことではないだろうか。


日本的な「愛のかたち」を見る, 2008/7/19

ゴブラン織りのような緻密な和刺繍の表紙が目を惹くが、これは作品中「花」という名前で登場する著者の祖母愛用の丸帯の一部であるという。福沢諭吉の高弟であった著者の祖父を中心に、一族の伝記的事実をフィクション化して、「事実」だけでは伝ええぬ、ファミリーヒストリーの「真実」を描いた小説である。 作品の骨格は、明治以降の近代日本の勃興とその夢の果てである、戦争の悪夢なのであるが、見方を変えると、この美しい丸帯に象徴されているように、これは一族の女性たちのさまざまな「愛のかたち」と見ることもできる。歴史の波間に翻弄されたそれらの人々のひとりひとりにかけがえのない感情のドラマがあった。 主人公「角」の正妻である恵美は述懐する。−どれだけ激しく愛しても所詮相手のすべてを独り占めにすることなどできない。相手と過ごす時間や語り合った言葉、風景や自然、耳にした音楽、それらを思い出すことができればよい−こうして、恵美は愛人のいる夫を赦す。この心構えができあがると、陽光に満ちた地平が開け、美しい音楽がかなたから響いてくる。 この「陽光」と「音楽」は、家制度の桎梏のなかで自らの心組みによって得た「自由」の感覚と言えるかもしれない。こうした一見受け身の日本女性の「愛のかたち」は欧米人には理解しがたいものではないだろうか。けれど、このようにひとつの「境地」にまで高められ、文学的表現を与えられたことで、「恵美」像は静かななかにも毅然とした光を放っている。 異母兄妹である淳と由美の関係も同様である。やみくもに相手を所有しようというのではなく、限られた状況のなかでのせいいっぱいの「愛の表現」。ここにも、日本的と言えば日本的な、抑制と情熱のせめぎあいがある。奥ゆかしく、しかし芯の強さをもった、日本的な「愛のかたち」が”あえかな”表現をもって綴られている。 成就せぬことによる緊張ゆえに燃え上がる、和歌の世界にも似た、 と言えようか。 珍しくも空襲のない静かな夜、戦死した由美の息子の遺骨箱の前に額づき、由美と淳が最後に会う場面−二人でベートーベンのスプリングソナタを聴くのだが−が深い余韻を残している。 著者はまずこの物語を ”Eight Million Gods and Demons”(八百万の神と悪魔)のタイトルのもと、イギリス、オランダ、アメリカ等で、出版、その後、この『夢のあと』として日本語化した。芭蕉の「夏草や…」からのタイトルだが、終戦のあの夏の日にすべてを失って、原点に還った日本人の姿という意味を込めているという。


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